ここに来て、いちばん近い店まで車で三十分になった。
最初の数ヶ月で気づいたのは、欲しいものが減ったということだった。服も、道具も、どこかの国への航空券も。都会にいた頃はいつも何かが欲しくて、欲しいものリストが途切れたことはなかったのに。
田舎の暮らしが自分を無欲にしてくれたのだと、しばらくは思っていた。ちょっと悟った気にもなっていた。
そして久しぶりに街へ出た日、駅ビルに入って十分で、欲しいものが三つ見つかった。煩悩は消えていなかった。留守にしていただけだった。
欲しいものが減ったのではなかった。 欲しがっている人が、見えなくなっただけだった。
駅の広告も、隣の席の同僚の新しい時計も、夜中に流れてくる誰かの休日も、ここにはない。欲しいという気持ちは、自分の内側から湧いてくるものだと思っていた。けれど実際は、その多くが外から流れ込んできていたのだと思う。
それが分かってから、何かを欲しくなったとき、少しだけ立ち止まるようになった。これは自分の声なのか。それとも、誰かの声がいつのまにか自分の声のふりをしているだけなのか。
答えはたいてい、すぐには出ない。でも、聞き分けようとするだけで、欲しいという気持ちに振り回される時間は少しずつ短くなっていく。
欲を消したいわけではない。ピアノを弾きたいと思う気持ちは、誰に見せるためのものでもない。そういう欲は、大事にしたい。
ただ、どれが自分の声なのかを知っていたい。それだけで、心はずいぶん軽くなる。